Interview注目の作家

水墨画・墨絵・書
渡辺いくみ
渡辺氏は、筆で「遊ぶ」ことを肯定する書の表現・己書を武器に、デビュー早々からパリ、ニューヨーク、ロンドンなど海外複数都市で発表を重ねている注目の作家である。仏や菩薩、斎宮、雅楽といった日本古来のモチーフに、自身の体験と言葉を重ね合わせ、絵と文字を一体化させた独自の世界を築いてきた。下書きにとらわれず、迷いのない一筆で紡がれる作品群には、日本文化への深い敬意と、今を生きる自身の感情が鮮烈に刻まれている。その創作の背景と想いに迫る。
「斎宮-saigu-」 作:渡辺いくみ
渡辺さんが生み出す『己書(おのれしょ)』とはどういったものでしょうか?

己書はもともと、あるデザイナーの方が考案した書の一種で、自らが思うままに自由に筆を走らせる自分だけの書です。筆ペンをぐるぐると回し書きする、右から左に字を逆書きして味を出す、絵を付けるといった、書道ではタブーとされるような「筆で遊ぶ」ことも己書では良しとされます。書き順を気にする必要もありません。「日本己書道場」が己書の師範を認定するのですが、実は2024年2月時点で日本全国に3,000人以上の師範が輩出されており、各師範が生徒を持ってさらに己書を広めています。私も知人の伝手でお誘いを受けたことをきっかけに己書を習い始め、2022年12月に師範を取りました。

師範を取った後に己書の作品をアップするInstagramを開設したら、数枚アップしたところでパリの展示会に出展依頼をいただき驚きました。そのパリでの展示をきっかけに様々な会社からお声がけいただき、ニューヨーク、ロンドン、ウィーンなど1年間に10件くらいは海外へ出展しました。また先日は、イタリアの雑誌に作品が掲載されたことをきっかけに、英国王立美術家協会の名誉会員にも選出いただきました。 私は美術系のキャリアを歩んできたわけではないので、表彰式やレセプションパーティなどで美大出身の方々に混ざると少し委縮してしまうときもありますけれども、こうしてお声がけいただけるのは大変名誉なことだと感じています。

「いにしえのまほろば」 作:渡辺いくみ
絵と文字が組み合わさっている点が己書の特徴でもありますが、絵や文章はどのような思いで選んでいますか。

私は絵のモチーフとして仏や菩薩、斎宮、雅楽、巫女といった日本古来の伝統文化を描くことが多いです。祖母が仏像好きで、祖母の家に行くと仁王像が置いてあったこともあり、幼いころから伝統文化に親しむ機会はありました。中学生の頃からは寺社仏閣に興味を持ち始め、学校の教科で一番好きなのも歴史でした。 現在も、コロナ禍以降、様々な寺社仏閣への参拝を個人的に続けています。寺社仏閣の参拝をはじめたきっかけは、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」に関する本を読んだことでした。廃仏毀釈というのは、明治時代に起きた『仏教を排斥し、寺院・仏像・仏具などを破壊・廃止する運動』です。明治政府が神道を国の宗教(国家神道)として仏教と分ける「神仏分離令」を出し、日本各地で寺院の破壊、仏像の焼却が起きたそうです。その本を読んで私は、何か自分のものではないような感覚、苛立ちを覚えました。だから今、各地の壊された仏像をめぐり『昔はごめんなさい』と謝って回っているんです。遺構を目の当たりにした時の自分の感覚は怖くて、嗚咽するほど泣いたこともあります。どうもこれについては第六感のようなものが働くようです。

また、私の作品の文章については、「辛辣」「重たい」などと言われることもあります。例えば地蔵の絵であれば、他の方なら「ありがとう」や「灯火」など比較的前向きな言葉を添えるようなところ、私は「あなたを忘れずに生きていく」と書きました。流産や死産で生まれずに亡くなった子どもたちを慰める『水子地蔵』を描いたので、そのような言葉にしたんです。日本の文化・歴史に感じることや、自身の体験をストレートに伝えていきたいという思いがあるので、それが私の作品の特色でもあるのかもしれません。

「龍上観音」 作:渡辺いくみ
特に人気の作品はありますか?

『龍上観音』はパリ、金沢、東京と3回展示の機会をいただき、パリではグランプリ、東京では最高金賞をいただきました。この作品について金沢の展示では「平和への願いが滲み出、希望に満ちた未来を祈念する作品展にふさわしい。文字・画・書がバランスよく三位一体となり、文字は気持ちの赴くままに淀みなく筆が運ばれている」との講評を頂きました。「淀みなく筆が運ばれている」という点に関しては、私は下書きをすることが少ないので的を射ているかもしれません。己書の考え方では「失敗は無い」とされていることもありますが、私自身、失敗も味ではあると捉えてるので、その味をどう活かせるかを考えて、描いた作品はすべて公開するようにしていることのおかげだと思いました。

嘘偽りなく、感じたままに制作に向き合う姿勢がよく伝わりました。最後に、今後の展望について教えてください。

売れたい!というのが本音ですが(笑)。やはり、今感じている作品への反響を通して、日本人すら興味のない日本の文化を広めていくことに使命感を感じつつあります。 絵に文字を足せるというのが己書の大きなメリットで、私の作品はその2つをセットにして、つまり言葉のストレートな部分も含めて評価いただいていると思っています。先日パリコレ会場として有名なカルーゼル・デュ・ルーブルに出展した作品には、「最高も最低も合わせて私の人生」という言葉を添えていました。今後も絵と言葉の力で、見る人に伝わる作品を作り続けていきたいです。

幼いころから触れていた、日本の歴史や信仰といった要素に対し、敬意と独自性を持って表現する。渡辺氏が描くのは、単なる趣味としての書ではなく、過去への反省と未来への希望である。制作当初から注目を浴び、場所や国を越えて共感を呼んでいるのは、彼女の姿勢に嘘がなく、生き方そのものが作品に刻まれているからであろう。今後、その表現がどのような広がりを見せていくのか引き続き注目したい。

インタビュー: 2025/12/02